堀の内(恩田町)の円形交差点

2014年9月1日の道路交通法改正で環状交差点(ラウンドアバウト)の通行方法が新たに整備され、全国でラウンドアバウトの運用が始まりました。円形の島の周りを時計回りに一方通行で回りながら所望の方向へ曲がる交差点です。



▲ ラウンドアバウトの例(写真は外国のもの)
出典: Wikipedia © Andrew Bossi (Creative Commons CC-BY-SA-2.5)


日本ではこのての交差点として、従来からある円形交差点(ロータリー)と道路交通法改正で加わった環状交差点(ラウンドアバウト)の2種類があります。



▲ ロータリーの標識(左)とラウンドアバウトの標識(右)


その区別は、ロータリーは進入する車が優先、ラウンドアバウトは周回する車が優先、というのが大きな違いのようですが、いずれにしても円形の周回路を回る構造になっています。


実はこれとよく似た交差点が恩田にもずっと前からあるのです。

恩田町上和田の田んぼから都県境の尾根を見ると住宅が立ち並ぶ斜面があります。頂上には鉄塔が立っています。



そこを目指して上っていくと



鉄塔を中央島とした円形の交差点が現れます。恩田町1165番地先にあります。



鉄塔の周りをぐるっと円形の道路が取り巻いています。



付近に設置されている住宅地図を見ると円形の交差点らしい形に描かれています。



この円形の周回路に接続する3つの道路は全て左折のみの規制付きで接続しています。



これはもしかしたらラウンドアバウトなのではないか?というわけで神奈川県警青葉警察署に問い合わせてみたところ、交通規制担当の方に受け答えていただきました。

すると衝撃の事実。「丁字路が3つ丸く繋がっていると考えてください」ということで、実はこの交差点はロータリーでもラウンドアバウトでもなく丁字路の集合体なのだそうです。さらに驚いたのが実はこの周回路のような部分は一方通行路ではないのです。接続する道路は全て左折で進入するので必ず時計回りの一方通行になるのでは?と思うところですが、一方通行の標識もロータリーやラウンドアバウトの標識も設置していないので一方通行の規制は無く、「例えばこの道路に接する住宅の車庫から右折で出れば反時計回りにも回れます」ということでした。

なるほど確かに丁字路の集合体なのだなあと納得しつつ、恩田初のラウンドアバウトという期待は消えたのでした。


ところでこの交差点について読者の方からこんなお便りを頂いています。「恩田町1165番地付近の丸い交差点は、なぜあの様な造りにしたのでしょうか?」

確かにこういう形の交差点は恩田エリア全体を見渡してもここ1箇所しか無く特異なものです。そうなった理由を調べてみました。


まず手元の資料を調べてみたところ、この場所は昭和42年(1967年)前後に宅地化され、それと同時に道路が作られたことが分かりました。



▲ 当時の開発範囲
出典: 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス 空中写真 CKT20084-C3B-19


それなりにまとまった広さの開発なのでおそらく区画整理事業だろうと考え、その開発事業主を探す線で調査を始めてみました。

まずは横浜市内の市街地開発を管轄している横浜市都市整備局市街地整備部市街地整備調整課に問い合わせてみたところ、「行政主導の事業ではなく行政資料が残っていないため分かりません」という回答でした。

では道路のことならと思って都市計画道路の件でもお世話になった横浜市道路局建設課に問い合わせてみたところ、この内容は本来は建築局建築情報課の管轄としながらも調べて下さり、「土地区画整理事業ではありません」「昭和43年(1968年)頃、民間の宅地開発で道路も整備されました」という回答でした。また、この道路が横浜市の市道となったのは平成13年(2001年)1月15日だということが判明しました。それまでは私道として管理されていたようです。

さらに青葉区内のことに詳しそうな青葉区役所で何か分からないか問い合わせてみたところ、青葉区区政推進課の方がいろいろ調べて下さり、神奈川県庁県土整備局建築住宅部住宅計画課の「住宅団地立地調査結果報告書」という資料から開発事業の詳細が判明しました。

それによると、これは五味商事株式会社という企業による開発事業で、昭和41年(1966年)度から昭和42年(1967年)度にかけて総面積11477平方メートルを造成して「五味団地」として32区画を宅地分譲したということです。道路が作られたのもこのときです。

あとはその事業主に問い合わせれば円形の道路にした理由が分かるはず、と思ったところですが、既に無くなっているのかこの企業の現在の情報を掴めずこの線は断念となりました。


では別の線から調べてみます。

先に書いたとおり、この道路の中央には送電線の鉄塔があります。



ということは鉄塔が道路の形状を決める要因であった可能性がありそうです。

鉄塔には東京電力の記銘板が掲げられています。



ということで東京電力に問い合わせてみました。

この鉄塔は町田市真光寺町の西東京変電所と横浜市泉区の京浜変電所を結ぶ京浜線1・2号線という275kVの超高圧送電線の鉄塔で、昭和39年(1964年)6月に建設され昭和61年(1986年)2月に建て替えられたものだそうです。しかし「道路計画については把握していません」ということで道路の形状に関する情報は分かりませんでした。

こちらの線も断念かと思ったところですが、鉄塔と道路が作られた順序がヒントになりそうです。

昭和39年(1964年) 鉄塔を建設
昭和43年(1968年) 道路を建設

ですから、既に鉄塔があるところに後から道路を作ったわけです。


そこでこの鉄塔が支える送電線と道路の関係をよく見てみると何となく理由が見えてきました。

鉄塔の北側は送電線が道路の真上にあります。



そして鉄塔の南側もほぼ道路の真上に送電線があります。



さらに成瀬街道を渡った恩田川の近くからこの送電線を見上げると、送電線の真下を避けて住宅が建てられていることがわかります。



これは何かの規制があるはずと思って調べてみると、電気事業法と経済産業省令の定めにより170kV以上の高圧送電線直下には建造物を作れないことが分かりました。

つまり円形の道路ができたのは次のような理由だろうと推測します。



(1) 法令により送電線直下(斜線部分)に建造物を作れない
(2) なのでその部分を道路として利用するように計画した
(3) しかし鉄塔と道路を重ねることはできないので、鉄塔の周りは道路を円形にして避けた


結局確定的な証言は得られませんでしたが、現在のあかね台二丁目内に至っても送電線直下を避けて住宅が配置されているため、この推測で間違いないだろうと思います。

恩田エリア唯一の珍しい形状の道路は(おそらく)こうして生まれたのでした。


余談ですが新横浜の横浜アリーナの裏手にあたる港北区新横浜三丁目13番地先には、2014年の道路交通法改正で生まれた本物のラウンドアバウトがあります。



ここも送電線の鉄塔が中央島になっていて送電線が道路の真上を通るようになっています。


ご協力:
神奈川県警青葉警察署
横浜市都市整備局市街地整備部市街地整備調整課
横浜市道路局建設課
青葉区区政推進課
東京電力

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