字地書上 恩田村

字地書上は、皇国地誌と同時期にまとめられたもので、
地租改正前後の地名が、地理とともに詳細に記されています。

これも昔を知るうえで大変貴重な資料になります。

その中から、恩田に関する部分を出典文献の記載のまま引用します。
振られていたルビは括弧書きで記しました。


武蔵国都筑郡 恩田村

字地

西之谷(にしのやと) 新名

村の中央にあり {部内四千九十三番地宅地 を以て中点と定む} 北に山岬を負ひ東西総て田圃(はたけ)宅地各所に散在せり 南方用水堀あり源を本郡奈良村より発し 東流して町田川に入り恩田川に合流す 又この堀に添いたる八王子道ありて字早川に接す 明治八年地租改正の際旧小名西村(にしむら) 西の前(にしのまえ)を合併して更に現名に改む

馬場(ばんば) 旧名

村の中央の稍東にあり 部内総て平坦にして宅地圃等相連なり南西の方道路を帯びて字西の谷境す 北方万福寺境内を分ちて字大谷(おおやと)に属す 東方東村と対向す 改正の際旧小名万福寺及び万福寺前(まんぷくじまえ) 田島(たじま)を合併す

東村(ひがしむら) 旧名

村の中央より寅卯の方にあり南方八王子道を分ちて恩田川を隣す 西北方馬場及び字大谷に接す 東方矢倉沢道を帯して神明社及び官林を限りて字曲り坂(まがりざか)に界す 土地概して平坦にして民居あり 改正の際変更なし

大谷 旧名

村の中央より寅卯の方にあり 西北方山岳囲繞(いじょう)にて村道を界す 東方矢倉沢道に属す 南方東村及び馬場に隣す 民家所々に散星せり 改正の際旧小名上の台(うえのだい)、羽山(はやま)、喜右衛門原(きうえもんばら)及び助治谷(すけじやと)を合併す

長津田耕地(ながつだごうち) 旧名

辰巳の間の偏隅にあり 総て平坦にして田圃連行し東方は十日市場村に交接する 南西方長津田村と対向す 北方恩田川を界す 改正の際旧小名北門堰及び大橋場(おおはしば)を合併す

下耕地(しもごうち) 旧名

村の中央より卯辰の方にあり 平坦にして一円圃地なり 東方恩田川を帯して十日市場村に属す 南西方官林を限りて恩田川に界す 北方ハ王子道隣す 改正の際旧小名走り居(はしりゐ) 大松(おおまつ)を合併す

川戸(かわど) 新名

村の中央より卯辰の方にあり 北は山林を負いて村道に接す 東方西ハ朔村山岬と連亙(れんこう)す 南方神鳥前川社を分ちて官林地を貫き八王子道を限りて 下耕地に隣す。西方矢倉沢道に属す 西東に一線を貫きて人居圃地等散星せり 改正の際旧小名下台(しもだい) 小山堰(こやませき)合併す

曲り坂 旧名

村の中央より正東方にあり 概して圃地山林高低にして北方山岳を帯して字大谷隣す 東方は軽井沢(かるいざわ)用水堀を界す 南西方里道を分ちて字川戸及び神明官林を限りて矢倉沢道を界す 改正の際旧小名菩薩講(ぼさつこう)及び供養塚(くようづか)・榎木田(えのきだ)を合併す

榎久保(えのくぼ) 旧名

寅卯にあり 西北方に矢倉沢道を帯して字関ケ谷隣す 東方山林綿亙(めんこう)して西八朔村に接す 南方山脈聳えて字軽井沢に属す 西方に向って山林又圃地散漫し改正の際旧小名摺鉢久保(すりばちくぼ)合併す

軽井沢 旧名

村の中央より東方にあり 東方山岳を帯して西八朔村に連行す 南方八王子道を分ちて恩田川に至る その端は十日市場村に接す 西北方は村内第二の用水堀を界す この源は字成合(なりあい)及び雨堤谷(あまつづみやと)より発す 改正の際地獄田(ぢごくだ) 中打越(なかうちこし)及び打越、狭久保(せまくぼ)を合併す

関ケ谷(せきがやと) 旧名

丑寅にあり 北東方山岳を帯して谷本村隣す 南方榎久保に接し西方村道を界す 荒茨の原野なりしを明治年来拓きて民家設立し改正の際旧小名仏山(ほとけやま) 大原(おうばら) 大余(おおあまり)を合併す

成合 旧名

子丑方にあり 北東方は間道を帯して成合村及び上谷本村に接す 南方は田地を限りて字関ケ谷隣す 西方嶺上負いその皆背を以て字雨堤界に成合村より連亙して田圃人居あり 改正の際旧小名子の神谷(ねのかみやと) 祭の神戸(さいのかみど) 清高坊(せいこうぼう)及び会下谷(えげやと) 八石山(はちこくやま)を合併す

雨堤 旧名

北の方にあり 部内総て山地にして高峰最も多く亥の方峙(そばだ)ちてその嶺脈を以て鴨志田村に界し 西方橘樹郡登戸村道を帯びて字白山谷に隣す 東南方字苗万坂と相対す 改正の際旧小名長芝原(ながしばはら) 堀込(ほりこみ)及び一本橋(いっぽんばし)を合併す

苗万坂(なえまんざか) 旧名

北西の方にありて西方山谷深奥字白山谷に属す 南方村道を限りて宇山ケ谷接す 東北方山林負い僅に田圃あり 改正の際旧小名長谷(ながやと) 長峰(ながみね) 狐原(きつねばら) 冨士塚(ふじづか)を合併す

清水口(しみづぐち) 旧名

北方にあり 土地山間の幽地にして西北方山林連行し 東南方田圃地等相交りて字大谷に接す 改正の際旧小名芦久保(あしくぼ) 赤坂堂(あかさかどう) 円谷(まるやと)及び仏山(ほとけやま)を合併す

白山谷(はくさんやと) 旧名

亥の方にあり 部内幽地にして連山三面を囲い西北方奈良村及び鴨志田村に属す 東方山林相交り北方に向け溜井あり これに属する用水堀あり 南方に東流して字苗万坂に治る 改正の際旧小名万念寺(まんねんじ) 大寺谷(おおでらやと) 伜谷(せがれやと) 入間谷(いりまやと) 六反田(ろくたんだ)合併す

内田(うちだ) 旧名

戌亥の方にあり 北東方は宇白山谷山林と連亙す その麓に村道あり民居圃地相交り 南西方奈良村より発す 悪水吐堀を帯して田地を界す 改正の際旧小名寺谷(てらやと) 池谷(いけやと) 南坂(みなみざか)を合併す

井戸久保(いどくぼ) 旧名

西方の辺隅にありて西北方奈良村及び南多摩郡成瀬村山林と連行せり 南方徳恩寺境内及び田地を貫きて字内田に属す 東方堀之内田地及び道路接す 改正の際旧小名大潰谷(おおつぶれやと) 七郎右衛門谷(しちろううえもんやと) 鍛治谷(かじやと) 番匠谷(ばんしょうやと) 九郎治谷(くろうじやと) 子之辺通(ねのべどうり) 糀ケ谷(こうじがやと)を合併す

堀之内(ほりのうち) 旧名

西の方にありて西方山林を帯びて成瀬村に連亙す 南方恩田川を限りに長津田村に隣す 村内第一の用水堀は恩田川上に堰留田地ありて稍(やや)平坦なり圃及び民家あり 部内第一の地なり 東方は奈良村より発す悪水吐堀を隣す 北方福昌寺杉山社境内隔て井戸久保に接す 改正の際旧小名上和田(かみわだ) 山王前(さんのうまえ) 戌亥馬場(いぬいばんば) 宮飯前(みやめしまえ) 八反田(はったんだ)を合併す

山ケ谷(やまがやと) 旧名

西南方にあり 東南方恩田川を分界して字麻生山に接す 北方平坦にして人家田圃等あり 中央より稍南に村社神明社あり 部内最田地なり西方堀之内接す 改正の際旧小名寺谷(てらやと) 塔畢田(とうひつだ) 餓鬼塚(がきづか) 日影山(ひかげやま)を合併す

善念寺(ぜんねんじ) 旧名

酉戌の方にあり 西方民居圃地にして字山ケ谷接し 北方山林を負ひて苗万坂を界す 東方登戸道を隔て字西の谷隣す 南方田地にして恩田川を界す 改正の際旧小名善念寺前 和海道(わかいどう)を合併す

早川(はやかわ) 旧名

南方にあり 田地にして北方ハ王子道を界す 三面は恩田川を分界して字麻生山及び長津田村を境す 改正の際旧小名十王堂前(じゅうおうどうまえ) 矢際(やぎわ) 沓形(くつがた)を合併す

麻生山(あそうやま) 旧名

南方にあり 山林にして三面は長津田村に連行し北方山岳聳えて恩田川に接す 改正の際変更なし

町田川(まちだがわ) 旧名

東の方にあり 部内は総(すべ)て田地にして少しく圃あり人家及び山林なし 東の方は字東村と恩田川を界す 西方は字麻生山と善念寺と対向す 南方恩田川を隔て長津田村と界す 北方ハ王子道を帯して字馬場に隣す 地租改正の際旧小名矢際(やぎわ) 寺前(てらまえ) 道半(どうはん)を合併す

右御達に依り村内字地精密取調之処書面之通に相違無之(これなく)侯也
   明治十六年四月 戸長鈴木太郎左衛門
   神奈川県令 沖守固殿

出典: 都筑の皇国地誌と字地書上(緑区郷土研究会) 38ページから42ページ

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