餓鬼塚(恩田町)の庚申塔・道祖神・馬頭観音

樋之口の地神塔・馬頭観音・道祖神からそう遠くない場所に、中恩田にもうひとつ、石碑石仏がまとまって置かれている場所があります。



中恩田橋交差点の東側にある路地の周辺です。2つの庚申塔と、道祖神と思われる石仏、2つの馬頭観音があります。


まずは路地の入り口、恩田町3344番地の一角にあるものから紹介します。



▲ 庚申塔と道祖神 写真奥が中恩田橋交差点


左側に庚申塔、右側に道祖神と思われる石仏が並んでいます。


庚申塔

 正面右: 奉造立念佛庚申供養爲二世安樂也
 正面中央: (地蔵菩薩立像)
 正面下: (三猿像)
 正面左: 元禄十三庚辰天十一月吉日 武刕都築郡中恩田村 同行三十二人


道祖神

 正面中央: (立像)
 正面左: 文政十二丑年四月吉日



庚申塔は元禄13年(1700年)のものです。恩田で見かける庚申塔は青面金剛を彫ったものが多いと思っていますが、この庚申塔は地蔵菩薩と思われる立像が彫られています。

刻まれた文字は二世安楽を祈願するという文意でしょうか。二世というのはこの世とあの世。生きているうちも死んでからも安楽に過ごしたいという願いは今も昔も同じですね。庚申塔の意味についてはこちらにメモしてあります。



道祖神と思われるものは文政12(1829年)のものです。実はそもそも本当に道祖神なのか分かりませんが、単体道祖神の形式によく似ています。主尊は容姿から見て仏ではなく、おそらく人間か、あるいは日本神話の神ではないかと思います。道祖神の意味についてはこちらにメモしてあります。

どちらもほとんど風化が無く造形がはっきりと残っています。おそらく建立当時からずっと屋根を付けて大切にされてきたのだと思います。現在も花が供えられ、しっかりと世話されているようです。



▲ 庚申塔と道祖神が元あった位置


この庚申塔と道祖神は、2011年ぐらいまでは路地を10mぐらい入った坂道の右側にありました。現在はその部分が削られて擁壁になったため、路地の入り口まで移したようです。


路地を入ってすぐのところにある二又を左に折れると、恩田町3207番地の一角、道路の縁石に馬頭観音があります。


馬頭観音

 正面: 馬頭観世音
 左側面: 昭和十四年十二月 施主(氏名1名)



昭和14年(1939年)のものです。比較的新しい年代のもののはずですが損傷が多く、ふたつに割れた石を繋げ基部を補修して置かれています。馬頭観音の意味についてはこちらにメモしてあります。


馬頭観音がある先で道は行き止まりになります。その行き止まりのところに先ほどのものとは別の庚申塔と馬頭観音があります。

左側が庚申塔、右側が馬頭観音です。



庚申塔

 正面右: 武州都筑郡恩田 二世(※)
 正面右: [梵字(釈迦如来)] 爲庚申待之衆十七人也
 正面左: 寛文十一辛亥年二月吉日 安樂(※)
 正面下: (三猿像)
 正面下下: (蓮)

 ※左右に分かれているが繋げて{二世 安樂}


寛文11年(1671年)のものです。路地の入り口にある庚申塔が元禄13年(1700年)のものでしたから、その間29年です。中恩田ではこの頃庚申講が盛んだったのかもしれません。この庚申塔と路地の入り口にある庚申塔のそれぞれに刻まれている講の人数から、中恩田の庚申講が17人から32人に拡大したことが分かります。



▲ 梵字「バク」


この庚申塔に刻まれているのは文字ですが、梵字「バク」が刻まれています。釈迦如来を表す梵字です。つまり釈迦如来を彫った庚申塔ということになります。



下のほうには庚申塔でよく見られる三猿と、更にその下には蓮の花1輪と葉1枚と思われるものが彫られています。


馬頭観音

 正面: (馬頭観音立像)
 左側面: 上恩田村願主 (氏名1名)
 右側面: 弘化四丁未年三月吉日



馬頭観音は弘化4年(1847年)のものです。

建てたのは中恩田ではなく上恩田の人のようです。ここは中恩田の山ヶ谷集落と上恩田の内田集落が向かい合う場所なので交流があったのかもしれませんね。



▲ 中恩田の集落を通る昔ながらの一間(1.8m)道路


これらの石仏が置かれているのは中恩田に江戸時代よりも前からあると言われる道の脇です。区画整理で多少の変遷はありそうですが、当時からほぼ変わらずこの道沿いに置かれていたものだと思います。

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