川戸(しらとり台)の地神塔・二十三夜塔
こどもの国通りの下台西側交差点から坂を上っていくと、丘の頂上にしらとり台第二公園があります。
この公園の北東側の交差点に面した、しらとり台40番地の一角に、地神塔など3つの碑があります。
ブロックで整えられた台の上に3つの碑があります。
中央は地神塔です。
正面: 地神塔
右側面上: 土地拂下之記念
此ノ土地恩田字川戸
七千五百八番原野八
歩ハ元官有地ナリシ
モノヲ昭和九年四月下
記廿名平等出金シ金
参圓廿銭ヲ以テ拂下
ヲ受ケシモノニシテ永
久共有地トシテ保有
スルモノ也
右側面下: (氏名20名)
左側面: 下臺 氏子中
恩田によくある角柱タイプの地神塔です。下臺(臺=台)の地神講の人々によって建てられたものです。下台という名前は現在も交差点などに残っています。
この碑の右側には、地神塔を置いた用地の取得に関する経緯と思われる記録が刻まれています。
『此ノ土地恩田字川戸七千五百八番原野八歩ハ元官有地ナリシモノヲ昭和九年四月下記廿名平等出金シ金参圓廿銭ヲ以テ拂下ヲ受ケシモノニシテ永久共有地トシテ保有スルモノ也』
読みやすく書き直すと、恩田字川戸7508番地にある面積8歩の原野は国有地だったが、昭和9年4月に地元有志20名が平等にお金を出し合って3円20銭で払い下げを受け、これを永久共有地として保有した、ということです。そしておそらくその土地にこの地神塔を建てたのだと思います。
面積8歩=8坪です。約26.4平方メートルですから大して広い土地ではありません。ちょうど現在地神塔が置かれている敷地がそのぐらいの面積だと思います。ただしこの地域も区画整理がありましたから、恩田字川戸7508番地の位置のままかというと、多少は移動している可能性があります。この辺りにあった十字路の傍らに置かれていましたが、当時は交差点に対しての位置関係は今とは逆の斜め向かいの位置にあったようです。
この碑の年代は不明ですが、昭和9年の出来事が刻まれているので、それ以後と推測できます。
地神塔の右側には二十三夜塔があります。
正面: (立像) 奉供養女中一蓮
右側面: {廿三夜待 念仏講} 大願成就
左側面: 寛政七卯天六月吉日
寛政7年(1795年)のものです。
正面に彫られている主尊は石塔坂の供養塔とよく似ています。それを引用すれば多羅尊観音(たらそんかんのん)なのかもしれません。
地名などは刻まれていませんが、おそらくこの近くの下台や川戸の範囲で組織されていた講が建てたものだと思います。
地神塔の左側には地蔵があります。
正面右: 享保十一丙午天 武刕都筑郡□□
正面中央: [種字カ] (地蔵菩薩立像)
正面左: 四月吉祥日 恩田下臺村
享保11年(1726年)のものです。日付と地名しか刻まれていないので建てた目的などは分かりませんが、地蔵ではよくあることですよね。
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