内田(恩田町)の道祖神・庚申塔

中恩田橋の近くの稲がだいぶ育ってきました。



今回はこの近くにある内田の道祖神と庚申塔をメモします。



中恩田橋から北のほうへ、こどもの国通りから1本入った田んぼの中を通っていくと、内田の集落に入っていく細い道があります。



この道筋が、昔からある内田のメインストリートです。写真正面の突き当たりを左に進むと三叉路になります。

その三叉路を右に曲がると



内田の尾根の中腹に登っていく道。

左に曲がると



奈良川沿いのこどもの国通りに出る道です。


この角の片隅、恩田町2254番地辺りに道祖神があります。上の写真の左下隅です。注意していても見逃すぐらい目立ちませんが、ずっとここに佇んでいます。



道祖神

 正面: 道祖神
 左側面: 施主 (氏名1名)



至ってシンプルな角柱型の文字道祖神です。

今となっては立派な道ではありませんが、ここは内田のメインストリートですから交通の安全祈願と街道から入る厄災の封じとして建てられたのだろうと思います。


来た道を戻ります。



左側の丘の麓に沿って進んでいくと、恩田町2309番地辺りの丘の中腹に庚申塔があります。



これもまた目立たないのですが、見上げるとあんなところです。

しかも住宅の庭先を通らないといけない状態になっていました。お参りする場合はトラブルにならないようご注意ください。



かなり足場の悪い急斜面を登ってやっと辿りつきます。ここには2つの庚申塔があります。



庚申塔(右)

 正面右: 元禄十六年未□一月吉日
 正面中央: (日・月・青面金剛立像・三猿像)
 正面左: □□恩田村 同行□人



元禄16年(1703年)の庚申塔です。折れた痕や欠けた痕が多く傷んでいますが、細かく修復され大切に安置されているようです。ただし青面金剛の腕や三猿の顔は意図的に削がれたかのように欠損しています。真相は分かりませんが。

ちなみにここは餓鬼塚の庚申塔と田んぼを挟んでちょうど向かい合った場所です。年代も3年しか離れていません。


庚申塔(左)

 正面: [笠印○に山] 庚申
 右側面: 向テ右り いちがを道
 左側面: 左り のぼりと道



ちょっと珍しい、富士講のものと思われる笠印が入った庚申塔です。



山笠の下に「○」に「山」です。

丸と山、そして富士講というと、富士一山講の流れを汲む丸山教のものかと考えるのですが、この講紋が丸山教のものである確証がありませんので、いずれ調べてみることにします。


この庚申塔は道標になっています。

緑区石造物調査報告書(1)によれば、これらの庚申塔は元は先述の道祖神と同じ恩田町2254番地先にあったようです。おそらく道祖神の向かいの斜面です。

左側面には「左り のぼりと道」と刻まれています。



先ほど通ってきた内田のメインストリートのことです。現在のこどもの国通りに沿って鶴川方面に出て、登戸道に続きます。

右側面には「向テ右り いちがを道」と刻まれています。



「左り」はともかく、「右り」って何ですかね。何と読めばいいのかしばらく考えてしまいました。今も考えてますが分かりません。さすがに勢い余って間違って刻んだという訳ではないと思うので、昔は「みぎり」という言い方があったのでしょうか。

それはさて置き。
この庚申塔の下の道を北東へ進むと、現在の桂台、若草台、たちばな台の辺りを通って鉄町の方へ抜ける道筋が昔はありました。それを指しているものだと思います。


ところでこの庚申塔の前には、ピラミッド型の笠状の石が無造作に置かれています。



もしかすると庚申塔の笠になっていたものが落ちたのかもしれません。と思って載せようとしてみたところ、どうもぴったりフィットしないようなので勘違いかもしれません。とりあえずそのまま置いてきました。

ちなみに「緑区石造物調査報告書(1)」という文献にこの庚申塔の写真が載っているのですが、その調査当時は地面に半分ほど埋まっていたものを掘り出したようです。そしてその写真にこの笠は写っていませんでした。


最後におまけの画像をひとつ。いよいよ膨らんできた恩田の稲です。



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