徳恩寺の宝篋印塔

上恩田の井戸久保に徳恩寺というお寺があります。



恩田に現在あるお寺で最も古く、十世紀末に端を発する延命院という草庵を受け継いで建武2年(1335)に開かれたお寺です。



石段を登ったところにある山門をくぐって右側の境内に、1基の宝篋印塔(ほうきょういんとう)があります。



宝篋印塔というのは経典を収めた石塔です。墓塔として建てられることもあります。各部の名称をメモしてみます。



▲ 宝篋印塔 各部の名称(※)
※ 付属の案内板の記述に基づいて各部の名称を割り当てましたが、一般的な宝篋印塔とは構成が異なるため、私の解釈の誤りがあるかもしれません。


道端で見かけるような石塔とは見るからに異なる、とても複雑で豪華な形をした石塔です。台石を3段に積んだ上に建てられた、見上げるほどに大きなこの宝篋印塔は、地面から宝殊まで約3mあります。



正面には黒大理石の板に「寳篋印塔」と刻まれています。



案内板には次のように書かれています。

一切如来全身舎利(しゃり)の績聚(せきじゅう)する七宝塔であり、塔内に宝篋印陀羅尼経(だらにきょう)を蔵しています。如来加持の威徳(いとく)は、全ゆるものを擁(よう)護し、露盤(ろばん)・基壇(きだん)・蓮台(れんだい)・塔身(とうしん)・傘蓋(さんが)・鈴澤(れいたく)・相輪(そうりん)の悉くは、現世の七つの災難を免れる七宝塔の意義を持つものとされ、相応の方角を守る意味から四仏の種子が刻まれています。


塔の各部に刻まれている内容をメモしておきます。

塔身西側: (蓮座月輪)[種字ウーン(阿閦如来)]
基壇西側: 寳篋印塔



▲ 塔身西側 種字ウーン(阿閦如来)


▲ 基壇西側


塔身北側: (蓮座月輪)[種字タラーク(宝生如来)]
基壇北側:
      爾時佛説是神呪己諸佛
      如來土聚中聲出讃言善
      哉善哉釈迦世尊五濁悪
      世出□依無怙爲衆生演
      説深法是法要久住世間安



▲ 塔身北側 種字タラーク(宝生如来)


▲ 基壇北側


塔身東側: (蓮座月輪)[種字キリーク(阿弥陀如来)]
基壇東側:
      主利益令安穏快樂廣大
      無邊也時佛金剛手言諦
      聽是法要神力無窮□□
      益無辺譬橦上如如意□□
      常珎宝雨如満一切願□□



▲ 塔身東側 種字キリーク(阿弥陀如来)


▲ 基壇東側


塔身南側: (蓮座月輪)[種字アク(不空成就如来)]
基壇南側:
      旹 文化元甲子年 四月吉日建立之
      旹 文久三癸亥年 十月吉日再建之



▲ 塔身南側 種字アク(不空成就如来)


▲ 基壇南側


露盤北側: 願主 當山二十九世 亮太上人 再建補助 寳澤道壽居士
露盤東側: 願主 當寺廾三世 現住高辨 補助者 □連幽玄居士
露盤南側: 修復 昭和五十二年春 當山卅九世融照


塔身に刻まれた4種の種字は、金剛界曼荼羅で大日如来の四方にいる仏を表すものです。一般的には曼荼羅に合わせて次の方角を向くようにします。

東 阿閦如来
南 宝生如来
西 阿弥陀如来
北 上空成就如来

徳恩寺の宝篋印塔では阿閦如来が西を向いますので、一般的な向きとは逆転しています。意図的にその向きにしているのか、移設するなどした結果やむを得ずそうなったのか、あるいは塔身を据える向きを間違ってそうなったのかは分かりません。さすがに間違って、ということは無いと思いますが。


基壇の北側と東側に刻まれているのは一切如来心秘密全身舎利寶篋印陀羅尼経(いっさいにょらいしんひみつぜんしんしゃりほうきょういんだらにきょう)という経文の一部です。北側→東側の順に読みます。

東側の面をよく見ると、塔身の表面にセメント状のものを塗って補修してから文字を刻み直したように見えます。一部が剥がれていて古い彫刻の面が見えていますが、その部分はやはり風化が激しく文字を読み取ることはできませんでした。

この宝篋印塔は文化元年(1804年)建立、文久3年(1863年)再建のものです。さらに昭和52年(1977年)修復ということまで刻まれています。歴代住職によって大切に保存されています。

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