萬福寺の六地蔵・地神塔・庚申塔
東急田園都市線の田奈駅の近くに萬福寺というお寺があります。応安2年(1369年)開基のとても古いお寺です。
その境内に六地蔵・地神塔・庚申塔などの石碑や石仏が置かれています。
まず門を入ってすぐ右側に、地蔵や地神塔などが並んでいます。
左から順に、地蔵菩薩立像、双体地蔵菩薩立像(3組6体)形墓碑、尖塔角柱形墓碑、堅牢地神です。
一番左の地蔵だけが台石蓮座に乗ったものです。田奈の郷土誌という文献には、このタイプの地蔵像がここに6体並んでいて、六地蔵と呼ばれていたことが書かれています。
▲ 元々あった萬福寺の六地蔵
出典: 田奈の郷土誌(田奈の郷土誌編集委員会) 83ページ
現存する1体がこの6体のうちのひとつなのかどうかは、写真だけでは判断がつきません。少なくとも手前の5体とは一致しないように見えます。
地蔵菩薩立像
正面: (地蔵菩薩立像)
台石右側面: 武刕都筑郡 恩田鄕 万福寺
台石左側面: 施主(氏名1名)
「恩田鄕」と刻んであります。恩田郷というのは中世の恩田エリアの呼び方ですが、施主として刻まれている氏名は江戸時代後期の恩田村名主の氏名なので、実際に建てられたのもその頃だろうと思います。
双体地蔵菩薩像(左)
正面: (双体地蔵菩薩立像)
右側面: 天保八酉年 (戒名1名) 十一月七日
左側面: 天保十一子年 (戒名1名) 三月十八日
天保8年(1837年)と天保11年(1840年)の銘があります。
双体地蔵菩薩像(中央)
正面: (双体地蔵菩薩立像)
右側面: 慶應三卯年 (戒名1名) 八月十五日
左側面: 文政七申年 (戒名1名) 正月十七日
▲ 双体地蔵菩薩像(中央)上部の彫刻
慶應3年(1867年)と文政7年(1824年)の銘があります。
双体地蔵菩薩像(右)
正面: (双体地蔵菩薩立像)
左側面: 慶應二寅年 (戒名1名) 五月五日
▲ 双体地蔵菩薩像(右)上部の彫刻
慶應2年(1866年)の銘があります。
これら3つの双体地蔵菩薩像はほぼ統一されたデザインで作られていますが、ぞれぞれ手にしている物や周りに彫られている物が異なります。
それぞれの石には1名か2名の戒名と、戒名1名ごとに日付が刻まれています。位号を見ると「童女」「童子」が多いので、主に子供の墓標として建てたものだろうと思います。年代の組み合わせに規則性が無いので、ある程度後になってからまとめて建てたのかもしれません。
双体地蔵菩薩像台石
台石正面: {明治 二年 己巳 □月 施主 武州 恩田 (氏名1名) 建}
3つの双体地蔵菩薩像を載せた台石は明治2年(1869年)のものです。像よりも新しい年代のものなので、後から作ったのかもしれません。元々あった六地蔵が消滅していることも含め、この境内にある地蔵像は度々移動や整理をされているようです。
角柱形墓標
正面上: [種字ア]
正面右: 文政二卯星
正面中央: (戒名1名?)
正面左: 正月造建之
左側面: 施主當村(氏名1名) 同上谷本村(氏名1名)
文政2年(1819年)のものです。おそらく墓標だと思いますがよく分かりません。施主として恩田村の他に上谷本村の名が刻まれています。上谷本村は現在の青葉区上谷本町にあたります。
この碑は「田奈の郷土誌」から引用した六地蔵の写真の中央背後にも写っています。
堅牢地神
正面右: 安政丙辰桂月白露後一日
正面中央: 堅牢地神尊
正面左: 七十九叟筒井憲敬書[篆刻印]
背面: 馬場 西村
安政3年(1856年)の地神塔です。年月日の表現が若干特殊ですが、安政丙辰は年干支が丙辰の安政3年を表し、桂月は旧暦8月の異名で、白露は24節気で15番目の旧暦7月後半から8月前半にあたる時期を表します。
筒井憲の銘があります。これは江戸時代後期に旗本として行政分野で活躍し書道にも達していたという筒井政憲(安永6年(1778年) - 安政6年(1859年)ではないかと思います。
ちなみに夏目漱石の「道草」という小説の4節には、『筒井憲という名は、たしか旗本の書家か何かで、大変字が上手なんだと』という行があります。これは小説の中の話ですが書家として有名な人物であったことが伺えます。
背面には地名が刻まれています。
馬場と西村(西)は田奈駅の北西側一帯の地域です。その辺りの地神講が建てたものだろうと思います。
境内奥にある鐘楼の横には庚申塔があります。
庚申塔
正面: (日・月・青面金剛立像・邪鬼・三猿)
台石正面: 天明三□ (名7名) 十二月□
基部が埋まっていて一部読み取れない部分がありますが、天明3年(1783年)と思われる銘があります。
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