待堰堀

もうだいぶ経ってしまいましたが、昔の川が今どうなっているか知りたいというご要望を読者の方から頂きました。昔探しネタです。そう!私はこのサイトでそういうことをやりたいのです。と思いながらも手を動かすのが遅いのですが、まず手始めにひとつ昔の川の跡を辿ってみたいと思います。


中恩田には恩田川に沿って大きな水田地帯があります。



昔、この水田地帯に水を引いていた待堰堀(まちぜきぼり)という用水路がありました。



現在の中恩田橋の少し下流のところで奈良川を堰き止めて取水し、こどもの国通りに並行するように流れて東急田園都市線田奈駅の辺りで恩田川に放水していました。

皇国地誌に詳しい記述があります。

一、は待堰堀(まちぜきぼり)と呼ぶ 西南西の方字樋の口(ひのくち)にて前の奈良川を堰上げ村の南部を東南に流し 西南々の方字山ケ谷にて転じて東流し東南々の方字町田川に来りて恩田川へ注ぐ 長さ四百五拾弐間幅四尺より六尺に至る 深さ六寸田拾五町弐反四畝九歩

長さ約821m、幅約1.2~1.8m、深さ約18cm、水田およそ15ヘクタール余りと換算できます。

昭和初期の頃の航空写真でその様子を見ることができます。



出典: 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス 空中写真 USA-R1052-201 (加筆)


現在の様子を辿るにあたって現在の地図と合わせてみました。長いので2枚に分けています。



緑色が昔の水路を表しています。現在の水路(下水道を含む)を青色で描き加えています。


昔の奈良川は蛇行していて現在とは異なるところを流れていました。待堰があったのは樋之口の地神塔の近くで、現在は畑や宅地になっています。



その代わりに現在は、農業用水を汲み上げるための堰が中恩田橋から100mほど下流のところにあります。取水口が見えます。



そのすぐ横にポンプ場があります。



これが現在の待堰の姿です。田植えの季節になると奈良川の水を汲み上げて中恩田の水田に配水します。昔のような用水路は無く、暗渠と道路脇の水路で水を行き渡らせています。



昔の水路の跡を辿ってみます。

堰の近くでは、田奈駅方面に向かってこどもの国通りの右側辺りを流れていました。



こどもの国通りを中恩田のバス停付近まで進みます。神明社入口の交差点のところです。

この辺りで道路の右側から左側へ流路を変えます。緑色で塗ったところが昔の待堰堀が流れていたおよその位置です。



カーブに差し掛かる辺りも道路の左側に沿って流れていました。



現在は雨水を流す下水があります。



この付近の雨水は奈良川に放水されるので待堰堀の現在の姿とは言えませんが、ほぼ昔の待堰堀と同じ場所を流れる下水道です。

田奈小学校入口交差点に差し掛かります。



昔はここで右にカーブして長津田方面へ続いていた道路に沿って、待堰堀も右に曲がっていました。

さらにその先で左に曲がって現在のJA横浜田奈の敷地を横切ります。



ここから先は現在ある下水道も、待堰堀と同じく恩田川へ向かって流れていきます。JA横浜田奈の敷地の隅に「雨水幹線」と記されたマンホールがあります。



「田奈雨水幹線」という名前で管理されている下水道です。これが待堰堀の現在の姿です。



田奈駅方面に向かって道路の下を流れます。

現在の下水道の位置を青色で塗りました。緑色は昔の待堰堀のおよその位置です。



道路を進んでいくと、ところどころに雨水幹線のマンホールがあります。



昔の待堰堀もほぼこの道路に沿って流れていました。



田奈駅が見えてきます。



田奈駅の手前でこの道路は突き当たります。



田奈雨水幹線下水道は突き当たりにあるフェンスの先へ続きます。昔の待堰堀もすぐ左側に並行しています。



田奈雨水幹線下水道は田奈駅の真下で開渠になります。



昔の恩田川はこの辺りで大きく蛇行していて現在の田奈駅のすぐ東側に迫っていました。よって待堰堀はこのすぐ先の辺りで恩田川へ合流していました。



現在の恩田川は河川改修によってもっと先に移動しているので、田奈雨水幹線下水道はもう少し先まで続きます。



畑の間を通り抜けて、最後は恩田川へ注ぎます。



参考文献: 横浜市行政地図情報システム 公共下水道台帳図 だいちゃんマップ

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