新林堰の記念碑

神鳥前川神社の向かいに岩川という川があります。岩川は長津田の谷戸の奥から流れてきてここで恩田川に合流します。この岩川に農業用水の小さな堰があります。新林堰(しんばやしぜき)といいます。



恩田川は昔、旧恩田村と旧長津田村の境界でしたが、いつの頃からか元からか、明治時代の頃にはところどころ少しだけ恩田村が恩田川を越えて長津田村側にはみ出している場所がありました。そのひとつが神鳥前川神社の向かいのこの場所です。

恩田川の向こう側にあった恩田村の領域は、長津田耕地(ながつたこうち)と言いました。新林堰は村の境界を少しだけ長津田村に入った上流にあり、長津田村の新林という地名の水田に水を引いていました。岩川の水を恩田村に流してしまう前の最後の砦だった訳です。

なので実は恩田村とは直接関係のない堰ですが、村の境界付近にあったものなので多少は恩田村の人にも関わりがあっただろう、ということでメモしておきます。



▲岩川と旧恩田村の長津田耕地 奥に見える橋の辺りが昔の堰があった位置


現在もほぼ同じ場所に堰があり、昭和初期に行われた改修の記念碑があります。緑区いぶき野52番地の一角です。

改修以前の航空写真で付近の様子を見てみます。



出典: 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス 空中写真 USA-M388-24(加筆)


神鳥前川神社の前で大きく屈曲していた恩田川の西側に耕地が広がっているのが分かります。ここが恩田村の長津田耕地です。その南西の村境の隅に岩川に架かる橋があり、その少し上流(南西側)に堰がありました。

現在は屋敷橋という橋が架かっています。



その橋のすぐ上流に、現在の新林堰があります。



そしてその南側の道路を挟んだところに、ポンプ場の建物があります。



建物の手前に石碑がひとつあります。



新林堰の改修記念碑です。


新林堰改修記念碑

 正面上: 新林堰改築並ニ暗渠排水記念
 正面:
    新林堰ハ從來土堰ナリシガ今回政府ノ時
    局匤救農業土木事業ニヨリ農林省ノ補助
    ヲ得テ設計書ニ基キ地元請負ニテ混凝土
    堰ニ改築昭和七年十二月一日着工同年同
    月末竣工ス此工費金五百貮拾七圓貮拾四
    錢也内補助金四百参拾貮圓也他ハ地元負
    担亦同ク事業ニヨリ新林耕地ノ一部濕田
    六段歩ニ設計書ニ依リ地元請負ニテ暗渠
    排水工事ヲ行フ同八年三月一日着工同月
    末竣工ス此工費金貮百七拾五圓也補助金
    貮百七拾参圓也此両工事ニ地元諸氏ノ精
    勵セシ事ハ實二古今ニ範トス仍而永ク記
    念スベク茲ニ碑ヲ建設ス
      昭和八年七月


昭和8年(1933年)に建てられたものです。内容は現代文ですが若干読みにくいのでより現代文らしく書き換えると、次のようになります。

『新林堰は従来土堰であったが、今回、政府の時局匤救農業土木事業により農林省の補助を得て、設計書に基づき地元請負にてコンクリート堰に改築した。昭和7年12月1日着工、同年同月末竣工。工費は527円24銭、うち補助金422円、他は地元負担である。また同事業により新林耕地の一部湿田0.6ヘクタールに設計書により地元請負にて暗渠排水工事を行った。同8年3月1日着工、同月末竣工。工費は275円、補助金273円。この両工事に地元諸氏の精励された事は実に古今に範とするところであり、永く記念すべくここに碑を建設する。』


時局匤救(じきょくきょうきゅう)農業土木事業というのは、昭和の初めに景気対策として全国的に実施された公共土木事業です。この時期に各地で多くの農業関連の土木事業が行われ、新林堰もその一環として配排水の改修が行われた訳です。

当時の配水範囲はここから下流へ300mぐらいまでの長津田村新林の水田一帯だけで、その先は北門堰(ぼっかどぜき)という別の大きな堰から配水していました。



現在では、ここで汲み上げられた水は南東へ向かう道路に沿って、旧北門堰の配水範囲の一部を含めた環状4号線の西側一帯までの水田に配水されています。

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