恩田の遺跡

「遺跡」と言うとどんなものを思い浮かべるでしょうか。日本だと佐賀県の吉野ケ里遺跡だったり、海外だとエジプトのピラミッドのような有名なものを思い浮かべるかもしれません。

しかし遺跡という単語を分解すると、遺った跡と書きます。昔の人々が遺した跡。それが遺跡です。ですから人が住んでいたところには遺跡が存在して当たり前なのです。遺跡とは本来、身近なところにあるものなのです。


恩田エリアにも先史時代の大昔から人が住んでいました。彼らは家を作り、生活をし、一生を遂げて土に還っていきました。実は彼らが遺した痕跡が恩田のあちこちにあります。特に昭和40年代以降の宅地開発の際には多くの遺跡が発掘されました。

下の図は恩田エリアで発掘調査された遺跡の地図です。



意外とたくさんあると思いませんか。

もちろんこれら全てが歴史的価値の高いものではありません。土器が拾えたという程度のものもあります。しかしそういう場所はあちこちにあるのです。思えばそこらの造成地で土器の欠片を拾うということも時々ありました。造成地は山を「発掘」して土を盛った訳ですから。

一方で集落跡や古墳のようないかにも遺跡と言えるものもいくつか発掘されています。それらには固有の遺跡名が付けられています。



▲松風台遺跡 出典:東急多摩田園都市まちづくり館の展示写真


恩田エリアとその周辺で固有の名前が付いた遺跡は次のものがあります。

恩田エリア
・松風台遺跡(松風台)
・杉山神社遺跡(恩田町堀の内・内田前)
・堀の内東遺跡(恩田町堀の内)
・堀の内遺跡(あかね台二丁目)
・西ヶ谷遺跡(あかね台二丁目)
・大潰谷遺跡(あかね台二丁目)
・げんじ山遺跡(あかね台一丁目)
・月の台遺跡(あかね台一丁目)

周辺
・熊ヶ谷横穴群(奈良三丁目)
・熊ヶ谷遺跡(奈良三丁目)
・熊ヶ谷東遺跡(奈良二丁目)
・受地だいやま遺跡(奈良二丁目)
・上谷本遺跡(みたけ台)
・稲ヶ原遺跡(さつきが丘)

あかね台や奈良に集中しているのは宅地開発の年代や手法が要因と考えています。いずれも昭和50年代以降に開発が行われた地域で、大規模かつ綿密な調査が行われました。その結果、長い年代に渡る住居や集落の跡が見つかったのです。



▲大潰谷遺跡 出典:東急多摩田園都市まちづくり館の展示写真


一方でそれより前に開発された桂台や若草台などの地域からは同規模の遺跡が報告されていません。遺跡が無かったのではなく十分に調査をせずに開発を進めてしまったのかもしれません。事実、先述の土器の欠片を拾った造成地は桂台だったので、おそらく何かしらあるにはあった訳です。


ところで、遺跡という単語にはどのくらい昔のものであるかは定義されておらず、新しいものでは江戸時代に作られた富士塚や昭和初期に作られた建造物なども遺跡として扱われることがあります。それに倣えば、上に挙げたような先史時代の遺跡の他にも恩田には遺跡と言えるものがあります。

例えば中世の堀の内にあったと言われる恩田城や各所にあった塚の跡といったものです。これら富士塚石碑石仏のように他のカテゴリに分類し難いものも含め、このカテゴリでは昔の人々が遺した跡を調べていってみようと思います。

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