恩田の年表

恩田に関連するできごとを年表でまとめました。随時更新します。

恩田以外で起こったできごとはグレーで表示しています。
明治5年以前の月日は旧暦なので西暦の日付とは一致しません。


古代以前
西暦 和暦 月日 できごと
縄文時代 人の定住(推定)
上恩田遺跡群・松風台遺跡など
弥生時代 上恩田遺跡群・松風台遺跡など
古墳時代 上恩田遺跡群など
7世紀頃 武蔵国都筑郡設置(推定)
足柄道が通じる(推定)

恩田エリアは都筑郡に属し、足柄道(後の矢倉沢往還(大山街道))は恩田エリアを通る。
755 天平勝宝7 都筑郡出身の防人服部於田の歌
「都筑」の地名が万葉集に載る。
10世紀頃 延命院(後の徳恩寺

中世
西暦 和暦 月日 できごと
1185 文治元 鎌倉幕府成立
鎌倉時代
1187 文治3 神鳥前川神社創建
13世紀頃 鎌倉街道が各地に通じる(推定)
恩田には上道と中道を結ぶ早道その他枝道が通る。
13世紀頃

15世紀頃
堀の内の武士居館(恩田城)
杉山神社遺跡・堀の内東遺跡
1325 正中2 3月17日 萬年寺の梵鐘が作られる。
「恩田」という地名が刻まれる。
1355 建武2 徳恩寺中興開山
1452 宝徳4 4月16日 萬年寺の梵鐘が瀬谷妙光寺に移る。
萬年寺はこの頃廃寺か(推定)
1454 享徳3 享徳の乱
関東地方における戦国時代
1478 文明10 寿光院開基創建
1585 天正13 恩田郷の検地

近世
西暦 和暦 月日 できごと
1590 天正18 8月1日 徳川家康が入城
江戸時代
文禄 恩田村の検地
江戸中期 足柄道が矢倉沢往還(大山街道)と呼ばれるようになる。
1661 寛文元 恩田村の検地
1691
1697
元禄4
元禄10
恩田村の検地
1733 享保18 7月13日? 食行身禄が富士山烏帽子岩で入定
これを機に富士講(身禄派)が盛んになる。
1796 寛政8 上恩田の富士塚建造(推定)
文化~
文政
新編武蔵風土記稿
文化~
天保
下恩田の富士塚建造(推定)
1831 天保2 9月 渡辺崋山が游相日記を記す。
恩田には9月21日に訪れる。
1833~
1839
天保4~
天保10
天保の大飢饉
1843 天保14 2月 上恩田の富士塚再建

近代
西暦 和暦 月日 できごと
慶応後期
明治初期
明治維新
1868 慶応4 3月13日 神仏分離令・神仏判然令
廃仏毀釈が始まる。
1870 明治3 1月3日 大教宣布
神道を国教とする。
1873 明治6 明治改暦(太陰暦の廃止・太陽暦の導入)
神武天皇即位紀元(皇紀)の制定
太陰暦を廃止し、同時に時刻の不定時法も廃止する。
明治6年を皇紀2533年と定める。
1873 明治6 6月25日 第一大学区第九中学区四十番小学恩田学舎(後の田奈小学校)創立
1873 明治6 7月28日 地租改正
いわゆる年貢を廃止し、個人の土地所有を認め、土地の所有者に対する租税制度になる。
1875 明治8 4月1日 恩田学舎が恩田学校に改称
1875 明治8 皇国地誌
字地書上
1877 明治10 寿光院廃寺
1889 明治22 4月1日 都筑郡の奈良村・恩田村・長津田村が合併
恩田・長津田の「田」と奈良の「奈」を合わせて都筑郡田奈村となり、恩田村の地域は都筑郡田奈村大字恩田となる。
市制施行により横浜市が発足する。
1892 明治25 5月30日 恩田学校が恩田小学校に改称
(現在の田奈小学校)
1900 明治33 9月17日 恩田小学校が尋常高等第一田奈小学校に改称
1908 明治41 9月23日 横浜鉄道会社東神奈川-八王子間開業(後の八浜線・現在の横浜線)
長津田駅開業
1910 明治43 12月23日 旧神明社神鳥前川神社に合祀
この頃に神鳥前川神社境内の富士塚を築造
1920 大正9 大山街道が神奈川県道厚木東京線として指定される。
1920 大正9 4月11日 第一田奈小学校が尋常高等田奈小学校に改称
第二田奈小学校(長津田)・第三田奈小学校(奈良)がそれぞれ田奈小学校第一分教場・第二分教場となる。
1923 大正12 3月19日 尋常高等田奈小学校が田奈尋常高等小学校に改称
1934 昭和9 4月 川戸の地神塔の用地民有化
椎の木地蔵尊の用地民有化
1934 昭和9 田奈産業組合(後の農業協同組合)設立
1938 昭和13 国家総動員法施行
東京陸軍兵器補給廠田奈部隊填薬所(現在のこどもの国)用地強制収用・着工
1939 昭和14 4月1日 都筑郡田奈村が横浜市に編入
田奈村大字恩田(旧恩田村)の地域は横浜市港北区恩田町となる。
1941 昭和16 4月1日 田奈尋常高等小学校が田奈国民学校に改称
1941 昭和16 陸軍兵器補給廠田奈部隊発足
長津田駅北側一帯と田奈部隊填薬所が軍需施設として稼動する。

長津田駅から田奈部隊填薬所まで敷かれた引込線が上恩田地区を縦断する(現在のこどもの国線)。恩田の井戸久保に南寮が置かれる。奈良に中北寮・北寮および兵学校が置かれる。
1941 昭和16 12月8日 太平洋戦争開戦
1943頃 昭和18頃 恩田倉庫の建設
田奈部隊填薬所が手狭になり、物資保管用とされる倉庫群が上恩田地区の内田・南坂・長芝原・苗万坂周辺に建設される。事実上、恩田も軍需施設の一部となる。
1944 昭和19 3月 田奈産業組合解散
田奈農業会設立
1945 昭和20 8月15日 太平洋戦争終戦

現代
西暦 和暦 月日 できごと
1945 昭和20 10月15日 在日本朝鮮人連盟結成
南寮に支部が置かれる。
1946 昭和21 2月1日 アメリカ進駐軍による田奈部隊填薬所の接収
在日米軍田奈弾薬庫となる。
1947 昭和22 4月1日 田奈国民学校が田奈小学校に改称
1948 昭和23 2月13日 田奈農業共同組合設立
1949 昭和24 9月8日 在日本朝鮮人連盟解散
南寮にあった支部も廃止される(推定)。
1955 昭和30 3月4日 神奈川県道厚木東京線が主要地方道東京沼津線に指定される。以後、1956年に二級国道246号東京沼津線の指定を経て、1965年から現在の一般国道246号線となる。
旧恩田村エリア内の道筋はおおむね江戸時代の大山街道を踏襲し、幅員は片道1車線程度。
1961 昭和36 5月5日 田奈弾薬庫の接収解除
1961 昭和36 7月25日 恩田第一土地区画整理事業
現在のつつじヶ丘周辺の面積27.4ha。昭和39年まで。
1962 昭和37 8月10日 恩田第二土地区画整理事業
現在の青葉台一丁目・青葉台二丁目・桜台・松風台の東側・榎が丘の東側周辺の面積172.9ha。昭和42年まで。
1963 昭和38 8月13日 恩田第三土地区画整理事業
現在のしらとり台・さつきが丘周辺の面積65.0ha。昭和43年まで。
1964 昭和39 国道246号線改修
旧恩田村エリア内の国道246号線が現在の道筋になり片側2車線になる。
恩田川河川改修
奈良川河川改修
1965 昭和40 岩川河川改修
1965 昭和40 恩田第四土地区画整理事業
現在の松風台の南西側・榎が丘の西側・田奈町周辺の面積54.8ha。昭和46年まで。
1965 昭和40 5月5日 こどもの国開園
1966 昭和41 上谷本第一土地区画整理事業
現在のもえぎ野周辺の面積53.1ha(一部は旧上谷本村)。昭和46年まで。
1966 昭和41 4月1日 東急田園都市線 溝の口-長津田間開業
青葉台駅・田奈駅開業
1966 昭和41 6月 つつじヶ丘小学校開校
1967 昭和42 成合土地区画整理事業
現在の若草台の北東側・たちばな台一丁目・たちばな台二丁目周辺の面積59.6ha(一部は旧成合村)。昭和46年まで。
1967 昭和42 4月28日 東急こどもの国線開業
田奈弾薬庫(旧田奈部隊填薬所)引込線を転用した路線。上恩田地区を縦断する。
1968 昭和43 4月25日 東名高速道路 東京-厚木間開通
1969 昭和44 横浜市港北区の区域再編
港北区恩田町の地域は緑区恩田町となる。
1970 昭和45 奈良恩田土地区画整理事業
現在のすみよし台周辺の面積49.1ha。昭和52年まで。
1970 昭和45 上恩田の富士塚の発掘調査
1971 昭和46 6月 青葉台小学校開校
1972 昭和47 恩田第五土地区画整理事業
現在の桂台一丁目・桂台二丁目・若草台・松風台の桂台側・桂台遊水池から中恩田橋までの道路周辺の面積90.5ha。昭和57年まで。
1973 昭和48 4月3日 青葉台中学校開校
1974 昭和49 榎が丘小学校開校
1978 昭和53 田奈高校開校
1983 昭和58 上恩田土地区画整理事業
現在のあかね台一丁目・あかね台二丁目周辺の面積58.3ha。平成2年まで。
1985頃 昭和60頃 下恩田の富士塚神鳥前川神社境内に移設
1987 昭和62 4月1日 恩田小学校開校
1995 平成7 横浜市緑区の区域再編
緑区恩田町の地域は青葉区恩田町となる。
1996 平成8 4月 桂小学校開校
2000 平成12 3月29日 東急こどもの国線が通勤線化
恩田駅開業
2011 平成23 4月1日 あかね台中学校開校
2014 平成26 5月16日 恩田メモはじめました。